My Notebooks, 私のノート 2011 - 2015.


My notebooks know about me deeper than anyone else. 

前回も述べたが私の家系は良く読む。
私の家計で私の知る限り、一番良く書くのは私だと思う。
2011年の8月から2015年の今日までに書き終えたノートをふと並べてみた。(メモ帳|日記)。

絵はあまり書かない。日ごとにページも変えない。だからだいたいどのページも文字ばかりぎっしり書かれている。読めない部分も多いけれど、どうせ読み返さないので問題はない。

初めてのパリのこととか、ブルックリンで出会ったアーティストとの事とか、色々私は周りに話さないことが多いと思う。両親も友人も誰も知らない事柄や体験、出会い、感情まで、このノートと私の頭の中には色々事細かにありのまま記録されている。

私は基本読み返さない。

誰が読むのだろう。
いつか、誰かが読むのだろうか。
それはちょっと困る。
私は読まないが、誰かに読んでほしい訳でもない
でも燃してしまえるか、と言えば、それはちょっと自分では出来ない。
きっと、このままそのまま増え続けるのだろう。


時々地下鉄で一人で考え事をしていて思うのは、ゴッホや藤田嗣治やモネや、彼等が生きていた時は、まさか自分の書いた個人的な手紙や日記やノートが隅から隅まで読まれるであろうとは思っていなかったのではないだろうか。

彼等のことを思うとたまに哀れになる。プライバシーなど全くないではないか。

それとも読まれるのはやっぱり嫌だが、まあ読みたい人がいるならば、それも本望なのだろうか。

私のノートはどこへ行くにも持ち運ばれるので、使い切ったときにはだいたいへなへなである。
ノートを綺麗に使える人に憧れるのと同時に不思議である。
誰かが読むのであれば、私でももう少し綺麗に扱う努力ができるのだろうか。







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