Dance Without Goldfishes and A Rainbow Ice Cream 誰もがいるところで誰もいないように。En/Jp
Off Shot. Dance in a city as if nobody is watching you. |
A few nights ago, I shot a short video at Shinjuku. It was a rainy night.
It was a day when it was still light, I had a small scoop of rainbow icecream, shaped like a planet.
数日前、あるショート映像の撮影の後のおふざけオフショット。
誰もがいるところで、誰もいないように踊る。
マイナスの気温の中でジャケットも置いて
私は荷物も放置して
全てとは行かずとも、ありとあらゆる「もの」の所有を放棄することに少し憧れる。
その「もの」は形があったりなかったりする。
Is anybody born to be owned by somebody?
Is anything born to belong to one another thing?
私が身のまわりのものを全て置けば
同時に、一時の間、周りの全てが誰のものでもなくなるような気がして。
その行為は、どことなく白旗を掲げるような、
私の制作の歩みゆく道自体を一つのジェスチャーにしたような。
Speaking of a birth just reminded me of a movie titled "The Birth of a Nation".
生み出す、生まれる、創造する、と言えば、
1915年の国民の創生と言うものすごい映画があったね。
もともと全てのものは誰のものでもないはずなのだけれど、私たちの目には未だに見えない何かがはっきりと見えていて、そのものの本性を見ているのかわからなくなる。
一個人いつまでたっても容易には出来ないことも数多くあるので、それは私だけでなく皆も「オッケーグーグル」、と言いたくなるよね。
全てのものは、一つの動きを支える為に生み出され、
それらもまたその動きに支えられている為に自主的にもそして受動的にも動き続けるのだ。
Rainbow ice cream named rainbow ice cream. |
少し気になる映画『RAW』少女のめざめ
フランスとベルギーの合作映画で監督ジュリア・デュクルノーの長編デビュー作品。
失神者続出と言う話題だけれども、少し興味をそそられる。ホラー映画は見ないけれど、これは言葉が至らないだけで、トレイラーの感じからは、もしかしたらただホラー映画と言うよりももっと違う要素を含んでいるように感じる。でも一歩間違えたら当分のトラウマになりそうなのでまだ迷い中。観るならば、深夜のレイトナイトショー(最終時刻)がいいと思うな、すぐに夜があけるから。
この金魚たちが見ているものは、「動いている何か」か「餌をくれるかもしれない人」かそれとも「自分自身」なのかな。
"Something that feed us" "Something that is another side of our side" is that those goldfishes are feeling, outside the goldfish-bowl there is a goldfish taking a picture of them looking at their reflection.
昨日上を向いたら丸いミラーに映って水槽の中の金魚くらいに小さくなった小さい自分がいた。
Yesterday, when I looked up, I saw a mirrored image of myself.
If you looked up, or looked a side of you, you might see a reflection of you. Maybe that is how those goldfishes were feeling. Maybe they saw a reflection of themselves in me.
(look their eyes are so surprised)