Unknown: 海と池の底の方に_JP




Goldfishes in A Wooden Kiri Box (r) After Story of water leaking (l) 2017

ここ数日、綺麗な池の水面が見たくて仕方がない。
それは鈴木理策の新作の写真集、"Water Mirror"を見たからか、それはきっと理由の一つかもしれない、でもそれだけではないと思う。私は2歳から日中の大半を水面や水中で過ごしていたから。



Water Mirror のカバーのフォントのデザインを見たときは私の2014年に作った名刺にそっくりで驚いた。
自分よりもはるかに有名な人がこれでもかという美しい形で持って行ってしまった寂しさと、そしてその観念が、一般に通づるものがあるという新たな親近感のような感覚を覚えた。

綺麗な湖や池には、海にはまたない不思議が溜まって沈んでいる気がする。
最近知りあって息のあった写真家の人が、クリムトの作品週から池の絵を写真にとって送ってくれた。

今日起きたら、無性に水に浸かって沈みたくなった。お風呂場では少し狭いけれど、池がないならプールでもいい。近くに川はあるけれど、今は心は流れのない水を探しているような気がする。
流れが鎮まればものは浮くか、静かに底へ沈む。

色も繊細に浮き出る。

私たちにとって水と塩水は違うと思う。
水は私たちが体内に入れられると知っている、とても身近なもの。
塩水は生命の根元で、でも私たち人間は体内に入れることはできない。だから、壮大にも感じるのだと思う、ただ海が果てしなく大きいからというだけでなく。

最近は水族館に行く機会に恵まれている。
海に近く、でもきっと中にいる魚たちにとっては海からとても遠い場所。
それでも海を感じさせてくれるから、そこにいるときはせめて、精一杯吸収しようと。

10月の後半に、秘境の池に行く計画がある。
今朝はプールと池の底を考えながら、新しい窓枠の下塗りをしている。