2月22日 書置


後悔のない人間は人間ではない






24時間を何回もフル稼働し続けても、叶わないことや追いつかないことがある。

できないことあがある

それを知らないわけじゃない

それでも動けるならば動いて

手を伸ばせることには伸ばして

やってみて 経験してみて

それを続けて

追い続けて

追いかけ続けいて

そうしなければいつの間にか

種を植えた覚えのない

見栄を育てて 変な自信を育てて 固定観念も育って

それらが体や心から栄養ばかりを吸い取っていく

そして周りに支配されて

それができなくなり

そしていつしか体力的にも

それをできなくなる。


まっすぐに追いかけ続けて、
そして周りの愛しい人達にも、そのチャンスを逃させるような人にはならないように
自分で経験すること、自分で学ぶことを妨げるような人間にはならないように


そう思うけれど、精一杯そう頑に一途に前を向いているけれども

それは難しいことだとも、私は知っている。

愛している人たちに、束縛されることを、心から愛しいと思うことを

心でも体でも深く知っているから

それでも、強くいなくてはいけないと思う

まだ追いかけられるなら、それは私たちの仕事だから


できることとできないことにはいろいろある

ただひたすらに、

生きているうちにしかできないことをたくさん学んでいる



いつか何かに後悔するだろうことを知っている

いろいろなこと

それが何かもしれないかもなんとなくわかっている

全てをできないないから、今や未来と言われるどこかに必然的に存在する

後悔は生まれるものだ。

動けば私たちはその足跡に種をまくの。踊れば踊るほどその裾から
回れば回るほどその周りに、触れた人たちに、いろいろな種を残していく。

それは簡単に忘れ去られるけれど、たまに芽を出す。

それはたまにひっそりと後悔の花を咲かせる。

いつしか咲くかもしれないそれを思うと悲しい

たまに想像力を恨めしく思うときもあるけれど

何も知らないことばかりの私が

想像力がなくなった時が 多分この世界での命日なのだろう