ニューヨークのアトリエ日記 -Atelier Diary-:4月『暮らすこと。』
A p r i l 2 0 2 4
Table of Contents:
1. 1ヶ月の日本帰国
2. 手羽先のはなし
3. 夢のはなし
4. 代々木上原の古本屋のはなし
5. ニューヨークに戻ってからの私の数日に起きたこと
6. 3月の本
7. 暮らすこと
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兼六園 飛石 |
1. 一ヶ月の日本帰国
今年は通常の4月ではなく父の一周忌に合わせて少し早めに帰国することになった。後半といっても2月なのでまだまだ寒いし、花の咲く時期には少し早いし、帰国前はあまり滞在時の予定には期待はしていなかったので、一周忌以外の予定はあまり決めないで帰国することにした。
そんな中だったけど、友達にも少し会えたり、少し春らしい風も感じられたり。そして今まで行ったことがない場所に行けたり、他にも初めて体験することも多くて、「新しいこと」に心を動かされる私には、「新しいこと」が思ったより詰まった帰国になって、思い返すと充実していい時間になっていた。今まで行ったことのない場所だったり、作ったことのないものだったり、今まで気が付かなかったことだったり。ただ新しいのではなくて心を動かされるような「新しい」との出会いは、タイミングとか自分の選択とか運とか周りの人とか、色々なことがうまく重なって巡りあって起こる奇跡のようなものだと思う。今回は父のいない考えてしまうととてもさみしくなる比較的静かな帰国の中だったけれど、とてもいい巡り合わせが多かったのだと思う。
新しいことは身近な家族の中にも常にある。私たちはみんな生きていて、常に変わっているので、一年間会わなかった「誰か」ともう一度向き合って色々擦りあわせて寄り添うのはとても大事な作業だと思う。それを毎回「新しいこと」として受け入れて、楽しめる人間でいたいと思う。
水引美術館 |
2. 手羽先のはなし
私の父はとても料理が上手で、私が人生で出会った料理人全てと比べても一番ではないかというくらい才能があるプロの料理人ではない料理好きな、そして料理を振る舞うのが好きな人だった。
そんな父がよく作っていたおつまみ系の品書の一つが手羽先だった。確か何種類か違う調理方法をしていたと思う。昔は外食メニューだったはずの手羽先が我が家で定番メニューになったきっかけは、私の母が好きだから。
今回帰国している間は、せっかくなので何か母が作らない料理を作りたいなと考えていて。「あ、名古屋の手羽先。」と思いついたのが。
なんで名古屋かというと、生前父は名古屋に単身赴任していて、たまに母も名古屋に行っていたので。本当なら、私も次に帰国した時に父のいる名古屋に母と一緒に行く予定だった。なので名古屋の味を作って、一つ土地のものを一緒に感じられる体験をできるかなって。初めて作ったけど意外と簡単で、父の手羽先にはまだ遠いけど、普通の名古屋の手羽先としては自分でも驚くほど、結構上出来だったと思う。母も喜んでくれたので、今度はまた違う作り方や味付けを試してみたいな。
父はレシピを見て料理する人ではなかったので、父の味の作り方は何も残っていないけれど、私も父の料理を再現しようとは不思議と思わなくて。ただ私はどちらかというといろいろな部分が父に似ていると言われて育ったので、もちろん私は両親どちらも愛していたけど、私はそれがいつも少し嬉しかった。ただそういうこともあって、なんとなく私の料理には何を作ってもきっと父の気配がある気がするので、不思議と忙しい毎日の中でも料理をすることは苦にならない。
父に感謝して健康に幸せに今日を生きたい。
金沢のお麩屋さん てまり麩 |
3. 夢のはなし
スーツケースって、本当に思ったよりもハイラナイ。まあ私たちだってそれぞれ色々な夢を持てるけれど、人の体も器だから、小さい夢ならまだしも大きい夢はそんなにたくさん抱くことができないものね。そう、器にはいつも限度がある。私は必ず日本に帰ったら欲しいもののリストを事細かに書き出す。海外で生活している人ならきっと共感できると思う。
画材に日常生活品に服飾類に食品とその他諸々、、あと本。今みたいに帰れる回数が限られていると、帰国できる時には忘れたくないものが色々ある。でもスーツケースのサイズも重さも限られていて、液体とか本とか重さがあるものを入れると簡単にオーバーしちゃう。いつも全部は入らない。
本はお金があるなら本を買いなさいという名言がある。私はお金がなくてもなんとか手に入れたほうがいいと思うくらい、この言葉は正しいと思う。
重さでスーツケースに入らなくても、チェックインのカバンの中にもう数冊本を入れる(結局重たい)。
浅草 かなや刷子 |
4. 代々木上原の古本屋
今回の帰国中に友達と会った場所が代々木上原という私はあまり馴染みのない土地だった。二人とも何かを決めるのに慣れていなくて会う場所を決めるのに少し時間がかかった。気分はすでに川越だったので、高級住宅街でおしゃれな地域と聞いていてあまり期待していなかったのだけど、とても素敵な古本屋を見つけた。Los Papelotesという。
なんというか説明が難しいけれど、たとえば私が好きな自由が丘にあるNishimura Bunseidoという古本屋よりある意味もっとすごかった。(ちなみにNishimura Bunseidoは店内改装してから少しさっぱりしてしまった。)すごい、というのは本の種類が好みという部分ではなくて本屋としての店内の激しさ奇抜さというか。昔つつじヶ丘という駅の近くにも変な古本屋が一軒あったのだけど、偶にこの時代にこの場所にこんなものが存在しているなんて、という形の感動をくれる古本屋がある。Los Papelotesもすごかった。一階と半地下のスペースがある小さめの本屋なのだけど、床のいたるところに穴が空いていてコピー用紙にマジックでXが書いてある紙が何枚も貼られている通路がほとんどで本棚が見れない。もちろん店内は写真撮影禁止だし、一度しか行ったことないからわからないのだけど、いつもこうなのだろうか、それともたまたま床に穴があいた翌日にきてしまったのだろうか。いつかまた行って確認してみようと思う。本の品揃えは素晴らしかった。
古本屋 Los Papelotes |
買わなかった本 |
5. ニューヨークに戻ってからの私の数日に起きたこと
ニューヨークに戻って数年ぶりに体内時計が狂った。夜8時に急激に眠たくなって真夜中の2時半に目がさめる。兎にも角にも、日本に帰国して毎回思うのは、私はここに長くいたらダメになる。という感覚。ここには秩序があって、モラルがあって、常識があって、歴史があって、文化もある。安全もある。でも何か大きな、複雑な、見えない壁みたいな、風船みたいな、空気みたいなものがあって、それが私が日本を離れる前からあった何かなのだけど今も変わらずしっかりとある。さすがは変わらない私の国。いつかは日本でも製作したいけど、やはり今の私に必要な制作環境が作れる場所で製作をするが私のやるべきことだと思う。(2017年に私が日本で製作した絵たちは今でもいい作品だと思う。)
時差ぼけ以外にも変化があった。ふーこ(うさぎ)が今回の帰宅後以前よりもさらにどこにでも私についてくるようになった。私がキッチンに行けばキッチンにくるし、部屋に戻れば部屋にくる。お風呂場事件の後あんなに怖がっていたお風呂場にも顔を覗かせる。かわいい。以前はそのまま探検に行ってしまって見つけるのが大変だったので、これを機会におやつを使って必ず一緒に部屋に戻るように教えることにする。
アトリエの植物(最近はほとんどが水栽培)は水はほとんどなくなっていたけど、全て無事に生き延びてくれていた。一つだけ土栽培のやつが(下に予備の水を貯める容器の付いた植木鉢)土が流石に干からびていて危うかった。
今の生活を続けていて色々試行錯誤の末にアトリエの植物はドライフラワーといろいろな入れ物に入ったポトスともう一つ名前を忘れたオーストラリアの植物だけになった。いつか窓のあるアトリエに引っ越したら、またいろいろな植物を育てたいな。
ポトスはとても優秀でアトリエの人口のライトだけで幸せそうにしてくれている。
今回母のために作ったプランツハンガー |
6. 3月の本
『四畳半神話大系』 森見 登美彦
かなり前に表紙買いした本(夜は短し歩けよ乙女)がなかなかに良かったので、数年を経て同著者の他の本をまた読んでみる。今回はタイトルと作家名買い。とても良かった。個人的には、この本の方が乙女よりもおすすめかもしれない。
うん、とても良かった。期待以上に。Surreal が文字になった感じ。ちなみに英語でも出版されているようでタイトルが The Tatami Galaxy というらしい。
ちなみに私にしては珍しく、今月の本も気がついたら同作家の違う本を選んでいて、今はファンタジーとかフィクション系の小説の気分なのかな。私は推しの作家とかいないはずなのだけど。先々月は妹尾 河童さんの「河童がのぞいたインド」だったのでノンフィクションだった。とにかく未読の本がまだまだあるので当分は何が起きても読む本には困らないくらい。タレルの部屋 |
7. 暮らすこと
私はジブリの映画はどれもそれぞれに好きだし日本の誇りだと思っているけれど、魔女の宅急便とその前の作品は特にジブリを確立する段階での作り手達の人生とか運命とか、そこにあった挑戦とか問題とか夢とか志とか現実とか、もちろん私が作ったわけではないのに私にとっても特別な思い入れがある。
魔女の宅急便は『暮らすって物入りね』というジブリの中でも等身大で特に私の好きな言葉が出てくる。そしてジブリ作品の中で初めて、子供だった私がとても苦手と感じるキャラクターが出てくるアニメだった。それがメガネのあの男の子なのだけれども、あとはあの森に住んでいるからすの友達の絵描きの彼女も少しだけ苦手だった。子供の頃はキキに憧れたしあの言葉にとても憧れた。そしてのちに初めて海外で一人暮らししてあの言葉を実感した。
なんで今回魔女の宅急便の話をしようかと思ったかといと、あんなに何回も見た映画なのに、最近になってやっと気がついたことがあったから。今まではっきりと意識しなかったもう一人の私が苦手だと感じたキャラクターにやっと気がついたから。苦手という言葉が正しいのかわからないけど、何か怖さや恐ろしさを感じさせるものがある。それが魔女の宅急便のキキのお母さんだった。多分あの映画の中で本当は一番苦手な登場人物だったかもしれない。
ここ最近「日常」と「暮らすこと」について色んな角度から考えていたり、少し前に宮崎駿の新しい映画を見る機会があったり、あとはちょうどジブリ美術館に行く機会があったことからジブリ関係のいろんな動画をみたりしていて、色々重なってジブリの中でも私にとって現実を描写している魔女の宅急便が自然と頭に浮かんできて。
鈴木大拙館 |
暮らすことって今のことで、未来を作ることで、、特に日本人には暮らしを作る、という感覚があると思う。丁寧に暮らしを作る。または大雑把でバラバラでも、それはそれなりの各々暮らしを作る。毎日の繰り返しが暮らしを作る。
映画の中のキキのお母さんはたとえ私が彼女に何を感じても彼女が変わることはないけれど、私は今自分がアーティストとして生きていて、彼女を苦手と感じる理由がやっとわかって、そして彼女のどこかを苦手だと感じられていて、とても良かったなと思う。
四畳半といえば、私のニューヨークの部屋はとても小さくて、(四畳半あるかも怖くて測ったことがないので曖昧)、家賃は高いし、外に向けた窓もないし、もちろん庭もないけど、私の生活がある。
小さい部屋だから少し「生活」をすると、すぐに嵐の後のようになってしまう。それを毎朝、毎晩元の形に片付けて元に戻す。そしてまた「生活」をするの。
再会 彼女はたまに泣きそうな顔をする |
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