4月の出来事と2015年の映画と

Work in progress drawing, Ink on Washi Paper 

やっと体調が戻って
今夜、夜になったら私の家の屋根の調子を直そうかと思ったら
日が沈んだ頃に雨が降り出してひたすら雨音が続いている。

どうやら空の調子が悪いようで、果たして調子が悪いのかいいのか、気持ちのいいまでにただ雨が降っている。
せっかく用意したはしごの出番はなさそうだけれど、雨にしては夜を走る運転手のクラクションもならない悪くはない夜だと思う。

世界が全ての人を物語の主人公にするならば、今夜は
スタジオで絵をかくために、空がわざとそうしたのかもしれない。


この世界は全ての人を物語の主人公にする。
全ての人は自分をこの世界の物語の主人公にする力がある。

私はその両方が同じことだと思う。


4月は良い月だったと思う。
日本へ2週間の里帰りをした。短いけれども、密度の濃い時間だった。
5月後半から6月最初の週に向けてありとあらゆる締め切りが密集している。

自分で作るスケジュールはいつも、どうしてそうなるの?と言う感じになる。

昨夜変な夢を見て、なんとなく人肌が恋しい1日を過ごしている。



そういえば数日、1週間くらい前に見た映画、『花とアリス 殺人事件』(2015)は素晴らしかった。アニメーションでずっと見たかった映画の一つだった。

岩井俊二監督は私個人的に興味深い。インタビューを見ていても、独特の話方というか、話すペースとか、なんとなくある知人を思い出すところがあって親近感が湧くけれど、でも話の内容とか作るものの現代性と独自性がすごく魅力的だと思う。ロトスコープを使うことも面白い。

一昨日から日本でドローイング用に入手した新しい紙を試している。今のところ気に入っているけれど、もう少し時間をかけて色々な画材との相性を試したい。

宝くじというものは持っているととてもドキドキして、結果が出るまでは待ち遠しいのだけれども、いざ結果が公表されると、なんとなく確認するのを躊躇してしまうものである。
見た瞬間にそれが夢ではなくなって、ドキドキさせてくれるものではなくなってしまうから。それを受け入れられるまで心の準備をするまではそっと胸ポケットにしまっておいて、結果を見るのは待ったらいいと思う。結果を見るまではそれは永遠にドキドキさせてくれる宝物なのだから。でもそれは、いつか結果を見る前提なので、宝くじや抽選はだいたい決められた期限があるものなので、実際は期限付きなのだけれど。
「宝くじ」というのは比喩だけど、これはいろいろなことに当てはまる話だと思う。

1年前になくなった荷物の3箱中の1箱がどこかから見つかったらしく、日本の私の住所に返ってきた。1年間紛失していて、現地の受け取り拒否という返送理由を押し通すあたりは全く信じられないけれど、返ってきたのは奇跡だと思う。
なくした幼少の頃からの(私の今までの一生分の)色鉛筆が返ってきたことになる。とりあえずもう一度船便で送ってみたけれど、もしも再度なくなったら、まあそれはすごい話だと思う。
それでもなんだか運命の流れに乗せて、あるべき時間に逆らわずに何か大切なものをどこかへ送るのは、私たちの心を広くしてくれると思う。だって、あと1〜2ヶ月は、私はまた、私の大事な荷物が呑気に揺られている船を抱いているあの素晴らしい大きな海のことを身近に思うことができるわけだから。



スタジオの前の道沿いに置かれている大きな植木鉢には今満開のフューシャ色のツツジが咲き誇っている。それを眺めながら初めて気がついたのは、こちらでよく見るツツジは日本のよりも少し小柄で、こちらのツツジは日本のと同じように花が丸ごと落ちる。日本と同じかわからないのはこちらのツツジは花がみんな下を向いて地面に落ちること。



ダンサーは必ず夜の10時から2時のゴールデンタイムにしっかりと睡眠をとるように言われる。バレエダンサーは特にそうなのだけれど、ここ最近バレエにはまっているので、特によくそんなことを考える。

私もゴールデンタイムちゃんと寝ようかな、と仕事に向かうバスの中で考えながら景色を見ていて、あれ、でも夜9時まで働いて10時からゴールデンタイム。。って、なんていうんだっけ、この間習った言葉、ああ、
「社畜」なの? なんて少し突っ込みたくなったけれど、そもそもこれ、綺麗な言葉ではないので忘れようと思う。

でもゴールデンタイムの方は少し本気で、守ったら少しいろいろ成長するかしら、と
I'm just wondering.

この間沖縄が梅雨に入って、昨日あたりに奄美大島が梅雨期に入って、そしてそういえばそろそろニューヨークも私が(勝手に、nyの)梅雨と呼ぶ季節に入る頃かもしれない。それはニューヨークのスコールが続く時期のことなのだけれど、不思議と日本のそれ(梅雨)とちがって、ニューヨークの方は毎年正確な時期が覚えられない(思い出せない)。